本を書こうと思ったわけ

本を書こうと思ったわけ

みなさんこんばんは。今日は朝からいつものメンバーでランニング。午後から研究室の学生とミーティング。

それ以外は久しぶりにゆっくりと土曜日をすごしました。日本はもう日曜日の朝ですね。

さて、今日は絶滅の本を書こうと思ったわけについてお話しようと思います。

そもそもこの本を書こうと思ったのは、生きものの絶滅への危機感からです。この危機感は子供のころから感じていたもので、慣れ親しんだ町田市成瀬の里山が開発されてしまった時には、子供ながらに大変ショックでした。成瀬の里山には大変お世話になり、楽しい思い出がたくさんあります。そんな自然を残していきたいと感じるようになりました。

また、夏休みには母の実家山形県の羽黒町には毎年遊びにいって、山遊び川遊びをたくさんしました。そこでは祖父が先生でした。自然のことならなんでもよく知っていて、「カッコイイなぁ、この人みたいになりたいなぁ」と思ったものです。天気が良い晩には、祖父は畑に立ち小便(しつれい!)をしに行ったもんですが、小学生の僕もついていって、一緒に星空をみながらおしっこをしつつ、「明日は雨だな」とか「明日も天気がいいぞ」とか言うんです。天気予報があるからそれを見ればいいし、祖父の「立小便天気予報」はそんなに正確だったわけではないとは思うんですが、そんなことはどうでもいいんです。彼の自然体が、自然とのかかわり方が、カッコよかったのです。

大学のオフィスには若かりし祖父の写真が。今の自分があるのは彼のおかげだなとつくづく思います。

そんな祖父から昔は生きものがたくさんいたという話をよく聞きました。当時はカブトムシとクワガタに夢中でしたから、祖父が育ったころには「クヌギの木には群がるようにいたもんだ」なんていう話を聞き、なんで僕は生きものがたくさんいた「昔」に生まれてこなかったんだろうと本気に思ったものです。祖父はまたその祖父から聞いたオオカミの話をよく覚えていて話してくれました。「オオカミは賢くて人の後ろから忍び寄って肩を狙って人を倒すんだよ」とか…。おそらく「祖父→祖父→僕→ブログ」の伝言ゲームの中で多少変わってるとは思いますが、幼い僕は祖父のオオカミの話をワクワクしながら聞いたものです。ご存知の方も多いと思いますが、ニホンオオカミは1900年代初めに捕獲された個体を最後に、絶滅しました。

こうした幼少期を経て、将来の仕事は自然に関わる仕事、できれば環境保全に貢献できる仕事がしたいという思いを強くしました。大学、大学院修士は当時の農林学部で森林について勉強し、留学を経て今の仕事につきました。大学で生態学や保全学の授業を毎年教えていると、気候変動をはじめ地球環境の悪化、生物の絶滅が進行しているのを痛感します。もちろん気候変動は肌でも感じますし、他にもセミナーや学会に行っても暗いニュースが多くなっています。研究者たちは私たち人間が「六度目の大絶滅」を引き起こそうとしていると警鐘を鳴らしています。このままではいずれ75%以上の生物種が絶滅し、その先には人間の絶滅があるというのです。ここ10年20年が勝負です。人類は生きもののためにも自分たちのためにも賢い選択をしなくてはなりません。少々暗い話になってしまいましたが、こういうことを日本の若者にもっと知ってもらいたいという思いが本書の執筆につながったのでした。

瑞樹

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